続・すれ違う高校生と小さな変化
2年程前から見かけるようになった高校生カップルの話の続きである。
最後に見たのは去年(2020年)の夏頃。
それ以来私自身、車通勤が増えた事や、恐らく学校が休校であったりなどもしたのだろう、彼らを見かける事が無くなった。
何度も発出された緊急事態宣言がようやく解除された2021年10月、久々に電車での通勤に切り替えて何日か経った頃、およそ1年ぶりに、私は彼とすれ違った。
「彼」のみであった。
翌日もその翌日も「彼」とすれ違った。
ワイヤレスイヤホンで音楽でも聴きながら歩いているのだろうか、少し俯きがちに見える彼は大きくなったはずなのだが、少し小さく見えた。
暑いのだか寒いのだか判断がつかない日が続く。
Tシャツ一枚で風邪を引きそうになり、マウンテンパーカーを着てくれば汗だくになる。
それでいて、依然、世の中は混沌としており、自分の体温と同様に世界そのものに疑問を感じるようになる。
まるで「君の名は」以前の新海誠作品のようなオチだ。
個人的にはバッドエンドの方が好きだが、それはあくまで、現実ではないから、現実を直視するような作風が好きであっただけの話で、現実に厳しいことが起きるのは単純に悲しいのでまっぴらごめんだ。
つまり私は、勝手にあの2人の物語の登場人物になってしまっていたのである。
雨予報だったので傘を持って家を出たが、雨は降らずに傘を持て余しながら通勤していた、10月の後半。
「彼ら」を見かけた
彼は2本の傘を片手にもち、彼女は空いているもう片方の手を握っていた。
以前と変わらない、寄り添い笑顔で歩く2人だった。
ただ、以前と明らかに違う事が一点あった。
彼女はスーツ姿だった。
恐らく彼女は年上だったのだろう。
先に就職して出勤時間が合う時は一緒に駅まで向かっているのだと解釈した。
まぁ解釈が間違っている可能性は割とあるが、それでも2人が仲睦まじく歩いていたことに変わりはないので良しとして欲しい。
大袈裟に書いてしまったが
ただすれ違う高校生を観察していただけの話である。
日々感動は至る所に溢れているが、それに気づくかどうかは気の持ち方次第である。
私が今回こういった感動に出会えたことも、痩せたことが多少なりとも関係している。
というのも、自分に自信がない人は、朝手を繋いでいるカップルを見て
「朝から良いものを見た。朗らかな気持ちになった。」なんて思わない。
「朝からいちゃついてんじゃねーよ」と思う人が圧倒的に多い。
もしくは
「何も感じない。無だね。」なんて高圧的に答えるか。
そしてそういった類の人間たちはきっと、たとえ朝ではなくても、手を繋いでるカップルを見て
「いちゃついてんじゃねーよ」と同じ事を感じる。
かつての私がそうだった。
ただ単に、幸せそうにしている人が許せないのだ。
自分が幸せになれないならいっその事みんな不幸になれば良いという「拡大自殺」に近い概念を持つ。
痩せたことで自分に自信が持てた私は、他人の幸せを楽しみにすることができるようになっていた。
他人の不幸を願う人間は最後まで人と比較し続けて、結果幸せになれない。