
随分昔の話なのだが
過去に私がFacebookに投稿した話が、読み返してみたらなかなかに面白かった(自画自賛にも程がある)為ご紹介する。
2016年9月に行われた文化庁の調査によれば、「ら」抜き言葉を日常的に使っている人が過半数を上回ったというニュースをラジオで聴いた。
付け加えて、「若者が正しい日本語を使えなくなっている。」と懸念していたのだが、果たして言葉とはそんなに恒常的なものなのであろうか?
例えば「新しい」という言葉がある。
これは現在「あたらしい」と読まれているが、そもそもは誤用であり「あらたしい」が正しい使われ方であった。
それ故に「新た」と使われる。
「独壇場」もそもそもは「どくせんじょう」が正しい読みであるが、誤用が広まり「どくだんじょう」となったという歴史がある。
「心太」などはもっと酷い。
「こころふと」と読むのが正しかったのだが、誤植により当時の辞書に「心天」と表記されてしまった。これを「こころてん」と皆が読み始め、「ところてん」へと変化していった。
私は何も皆が間違った日本語を使っていると責めたいのではない。
私だって上記に関して言えば、そもそもの誤用を使い生活している。
言葉というものは時代により変化するものなのだ。
ビジネスの場面や公的文書での指摘はあくまで理屈が通るものであるが、表立った理由なく頭ごなしに否定する理由というのは、殆どの場合自身のステータスの獲得でしかない。
「俺(私)正しい日本語使ってるんだぜ。かっこいいだろ。」
という下衆な話なのである。
Twitter上で面白い(見方によっては性格が悪い試みだが、私は性格が悪いので致し方ない。)試みをしている方がいた。
ら抜き言葉に否定的なツイートを残した人間の過去のツイートをみて、ら抜き言葉を使っていないかチェックするといった試みである。
結果は言うまでもないが
皆使っていたのだ。
些か飛躍した話とは理解しているが、「正しい日本語」を提唱している人間だって、今の時代、過去を思い感嘆と語る際、文末に「なりけり」なんてつけないだろう。
私にとって国語は不得意な分野なので、ら抜き言葉を擁護する気は一切ないが、保身の為に人を責める様な人間がやはり苦手だ。

という投稿だったのだが
今思えば、この頃から私の現在のマインドの礎みたいなものは出来上がっていた。
常に世の中のスタンダードは変化し続けていて、以前のスタンダードに従って生きていた自分を守る為に新しいスタンダードを否定するのはひどくみっともないと言うことだ。
私が幼い頃のダイエットの基本は肉を食べないで野菜を沢山食べる事と言われていたが、近年はダイエットと言えば鶏胸肉やささみ等が中心のことが多く、寧ろトマトや根菜類等はダイエットには不向きとさえ言われている。
【これは昔に比べて野菜の価格が高騰している事なども関係していそうな気が個人的にはしているのだが、そこはあまり確証がないので一旦保留。】
どちらが正しいかという議論はここでは置いておいて、適者生存を説いたある有名なセリフを持ってしてこの話を終えたいと思う。
最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるのでもない。
唯一生き残ることが出来るのは、
変化できる者である。

