
人は待つ時間にこそ恐怖する
パーソナルジムに通い始め、一ヶ月もしないうちに私の生活週間は変化した。
四六時中ダイエットのことを考えるようになったのだ。
何故そんなにも極端に生活習慣・・・というかマインドが変化したかというと、いくつか理由はあるのだが
筋肉痛が途切れることなく押し寄せた為
という事が一つ挙げられる。
どういうことかと言うと、途切れることなく常に訪れる筋肉痛が、今私が苦行の中にいるという事実を忘れさせないのだ。
週に2回のトレーニングにより、どこかの筋肉痛が治ったと思えば違うどこかが筋肉痛になり
基本的には筋肉痛ではない日はない
という、慣れない人からすると結構な苦痛を伴う日々が続く。
トレーナーは程度をよく理解しており、必ず筋肉痛にする手腕の持ち主であり、毎回手土産と言わんばかりにそれを与えてくれる。
それは孫悟空の緊箍児(頭に付けているやつ)のようで、常に痛みを伴って付き纏い戒める。
しかしその戒めが極めて効果的であることもまた否定できない事実。
というか寧ろその生活に慣れてきてしまうと
『筋肉痛にならない日』
というのが恐ろしくて仕方ないのだ。
営業成績を残して給与に反映されるなど、選ぶ職種によっては頑張ったことに対して報酬を感じられる事があるが、私の現在職種や生活様式ではそれはない。
それに営業成績を残したから報酬が得られる訳で、ただ単に頑張ったからではない。
筋トレを頑張って筋肉痛になるという構造は非常にシンプルに対価(実感)を得ることになる。そもそも筋肉痛を対価とすること自体が通常の判断基準ではないとも言えるが、それはトレーナーを信じた(洗脳された)結果とすれば概ね納得の行くところだと思う。
逆説的に
筋肉痛になっていないと
頑張れていない
と感じるようになり、それが恐ろしく感じるのだ。
きっと多くの人は働かなくてもいい環境に突然なっても、何かしらの仕事はしてしまうものだと思う。
何もせずに過ごすのは自分が不要なものになった気がして不安なのだ。
大袈裟な表現が続いたが、つまり
筋肉痛は過去の自分からの
「よく頑張ったでしょう」
というメッセージなのだ。