そして私は歩き始めた
【以下の記事は2年以上前、ダイエットを頑張っていた頃の話である】
始発よりも2時間程早く動き出し私は国道1号線を小田原方面に向かって歩き出した。
登山用の靴とリュックを用意し、余計な食べ物などは持たずに出発した。
余計な食べ物は持たずに
という件は大事である。
以前登山に目覚めた時は山頂で食べる食事の美味しさに目覚め
・・・つまり登山には目覚めていなかったのだが・・・
逆に太ってしまうという醜態を曝け出していた。
兎にも角にも歩き出した。
靴ひもをしっかりと結びおおよそ36キロの旅路をスタートした。
正直40キロ程度歩くなんて大したことないと思っていたし、実際大したことではなかったのではないかと思うが、大事なのは決めた事をやり切るという事だ。
これが大した事でなければ、この経験を基にまた他のプランを立てればいい。
意味がないとか、効率が悪いだとか言って蔑んでくる人間の言うことは考えなければいい。
我々人間は、社会と言うものを作り上げた性質上、周りの意見に振り回されないだとか、気にしないということは出来ない繊細な生き物だから、そんなことは無理なのだが、今だけはみんな何も言わないで私を歩かせてくれ。
ただただ私は不安なんだ。
そんな心中を察したかのように、明け方の街は不安な色をしていた。
歩を進め、1時間も歩かずにすぐ市を跨いだ。
節目が早めにくるとなんだか順調に物事が進んでいる気がした。
藤沢市から茅ヶ崎市を越え、平塚市に入る頃には電車が動き出していた。
まだ夜が明けていない朝、橋から眺める始発の電車はこれからどこかに向かうのか、どこかから帰っているのか皆目検討がつかず、情緒的であった。
橋でしばらく立ち止まった。
感傷に浸る理由はない。
ただ疲れたのだ。
まだ早いが、これはこれでだいぶ疲れる企画であることを再認識する。
平塚の市街地を横断する前に夜は明けた。
明けてしまえばなんてこと無いものだと思いつつも、夜の最中と夜が明ける瞬間には何か意味がある気がしてしまう。まぁ繰り返すようだが何もない。
大磯を通過する頃に事件とも呼べない瑣末なことだが、大袈裟に言えば事件的な気づきが訪れた。
時は年末、駅伝のコースの下見に来た中学生の集団なのだろうか?振り向くと兎に角大量の少年少女たちが私の後ろを歩いていたのだ。(コロナ前なのでこう言うことも出来たのですね)
大した事件でもなんでもないと皆さん思うことであろうが、私は漠然と
「負けたくない」
と、謎の競争心を激らせてしまったのだ。
彼らが休憩するまでは私も休まない。
制約を自らに課した。
結果彼らは小田原まで休まずに歩いた。
途中引率の先生にでもなった気分だったが、国府津を過ぎたあたりから彼らの存在が無ければ私はもう歩けなくなっていただろうとさえ思う程、私が彼らに支えられていた。
無論彼らには支えている自覚はないであろうが。
いくつもの制約を課した結果小田原まで歩き切った。
まったりと歩き
36.12キロを7時間26分かけて歩いた。
知人曰くはいはいでもいけるタイムとの事。
赤ん坊恐るべし。