整骨院・接骨院
かつては、整形外科が少なかった事もあり、骨折をすると病院ではなく接骨院に通い骨をつなげてもらう、所謂ほねつぎというものがあった。
しかしながら、現代では骨折などをすると殆どの人が整形外科に行くため、骨を触ることができる施術者が少なくなっていったそうだ。
その為、ほねつぎのイメージが強い接骨院という名称から、整骨院にシフトしていったという経緯がある。と最近柔道整復師より御教示頂いた。
通院をして痛み止めなどの薬はもらったものの、あまりに腰が痛く、トレーニングも仕事もままならない。
このままでは生活習慣が変容してしまう・・・。
つまり
太ってしまう
というか、3日トレーニングをしていない時点で体の形が変わってしまった気がする。気のせいかも知れないが、トレーニングを怠ったという一事が私の精神を少しづつ蝕んでいることだけは確かだ。このままでは精神衛生上も良くない。
こわいこわい。
とはいえ、できる事は案外少ない。
私はダイエットや禁煙を通して、困ったときはプロを頼るのが一番と感じていたので、ひとまず腰を痛めるプロとも言える同業者(介護業界)に意見を求めて見る事とした。
すると、定期的に整骨院に通っている人が思いの外多い事がわかった。
その時に頂いた知見は以下である。
・病院と整骨院は犬猿の仲。どちらか一方の意見を受け入れずにいいとこ取りをすべし。
・マッサージが主体ではない所を選ぶべし。
・スポーツ関連に強い所を選ぶべし。
・当たり外れは大きい業種。一度でダメなら見切ってよし。
ふむふむ。
様々な意見を頂き、さらには保険が適用される為2000円もかからないのでは?と言われた事もあり、とりあえず近所で評判の良い整骨院を探し行ってみる事とした。
チャレンジはしてみたいし、ある程度はしてみるつもりではいる。知らないことは積極的に知る努力はしたい。
しかし、知った気になっている事柄に関しては何故か意固地になる人と言うのは私だけではないはずだ。
今回の事で言えば、かつて腰痛を乗り越えた際に整骨院に通わなかったと言うだけで、私は他の方法論を知っていると嘯き、そのやり方に固執するきらいがあるのだ。
改善点は気づいていればもう半分は改善されている。
わかっているならとにかくやってみよう。
と言うことで、やってきた整骨院。
「とにかくやってみよう。」などと言ったものの、元来の性格が変わるわけでもなく、内心は疑いっぱなしであった。きっと帰り際には継続して通うように説得されるのであろうと考え、はじめから断り文句を考えていた。
だいぶ若く見える先生に症状を伝え、椅子に座り触診をする。触ったくらいで何かがわかる訳が無い。
次にうつ伏せになるように促され、何やらコンコンと骨を手で叩き始める。詐欺師というものはさも何かをやっている空気を演出するために盛んに手を動かし音を出す。こやつも同じ類の人間であろう。仰向けになっても同じようなことをされる。こんな事で良くなるのであれば誰も苦労はしない。
再びうつ伏せになり、左右交互に足を上げるように指示される。
うつ伏せで行おうとすると腰が痛くて全く右足が上がらない。悲しい。
そして再び腰をトントンと叩きはじめた。「もうそれやらないで良いって。」内心そう思っていた。
2、3分で一通り触り終えた後、足をもう一度上げてくださいと指示される。
上がる。
ん?
ぐんぐん上がる。何ならいつもよりも上がっているのではないかというくらい上がる。
気のせいではないか?一過性のものではないか?何か釣り上げられたりしていないか?
何度も上げ下げして確認した。何も言われていないのにしばらくは繰り返し確認した。
だめだ
多くの場合信じるという心情は、初めから疑わない事を指すのではなく、疑いが晴れることを指すのだ。
そりゃそうだ、初めから全幅の信頼を置く人間なんてそういない。疑いを投げかけてその問いに答えることで人は人を信頼するのだ。
そう言った意味では、懐疑的な性格の私は、洗脳される才能みたいなものを初めから持ち合わせている人間なのだ。
開始10分で私の心はこの先生に完全に奪われた。
これが何かしらの詐欺的用法であったとしても、痛みがとれ、足が上がったことは間違いない事実。
立ち上がると、伸ばすことが出来なくなっていた背中が真っ直ぐ伸びていた。
結果1週間かからず仕事もトレーニングも復帰することが出来た。
そして腰痛がとれた今でも通い、キックボクシングのトーレニングの留意点など、体を見る専門的な見地から指導を頂いている。
初診でかかった金額は1700円。その後2回通い、いずれも1000円弱。パーソナルトレーニングも行っていて、今後の腰痛予防の為受講しようかと検討しているが、1時間で4000円(パーソナルトレーニングとして考えると爆安)で整骨院側から勧められてはいない。そして何より腰痛は消失した。
メンテナンス無しに長期的なトレーニングは不可能である。
分かってはいたがそれに対する対処法を漸く私は手に入れた気がする。
当たり前のことではあるが、体が動かなければ運動は出来ない。
自身の身体に何が起きているか?それがわかっている人なんて実は殆どいない。
医者は病気に対する対処療法のプロであるし、病気を診るプロである。しかし、それとは別に体を診るプロがいて、その意見を一度聞いてみるのも一つ手ではあろうと思う。その結果が気に入らなければ別の方法論を探せばいい。
私にはしっくりとハマった。ただそれだけの話かも知れないが。
自分で考えた
という自負がある人間程懐疑的になることが多い。
しかし「疑う」という一事は「理解」から遠い訳ではない。
疑う事は特に問題ではなく、その結果行動を抑制することが理解から最も遠い行為なのである。
どんなゴタクを並べてもとにかく経験してみるというマインドが活きた。
長い事痩せられない人は、自分で考えた結果自分に最も優しい選択肢を選んでいる事が多い。
最終的に何もしないという優しさである。
これを大局的に優しさと呼ぶ人はおそらくデブ以外にはいないであろう。