ヴィーガンさん アヒル屠さつ場凸について
私はヴィーガンではないが、肉は食べない。
詳しくは割愛するが所謂ペスコベジタリアンと言われる立ち位置の人間である。
詳しくは過去動画にしてあるので、興味があればそちらを観て頂きたい。
私が本日お話しさせて頂きたいのは、最近Twitter等で動画が拡散され話題になっていたヴィーガン団体がアヒルの屠さつ場に突撃して抗議運動を行なった件についてである。
極めて端的な感想を述べさせて頂きたいのだが、この件に関してのヴィーガン団体のとった行動は
失礼極まりない行為である。
と思う。
私も肉を食べないという性質上、人様から指摘を様々受ける事がある。
「食物連鎖の上で命は成り立っているのだから、命を奪うという行為は蛮行ではない。」
と言われる事が多々あるのだが、それは概ねその通りだと思う。
事実、肉を食べないようになってから私は、食肉文化というものがいかに人間にとって意味のある行為であったか痛感している。身体を作る為、免疫力を上げる為肉は食べたほうがいいと思っているし、私が普段一生懸命に人に説いているダイエットに関しても肉を積極的に食べたほうが良いと思う節があったりする。
それでも、私が食べないのは、ただの好き嫌いである。
動物を食肉加工している様子を想像したら、肉そのものが少し気持ち悪く見えてきてしまったというだけだ。そこにはモラルの問題など何もない。
人にされた注意を跳ね除けようと論理を構築し、論破する為の反証を確立しようとするのであれば、きっと何かしらのそれらしい理屈をこねる事は出来るが、それはしない。それは、何度も言うがただの好き嫌いに他ならないからだ。
そもそも旧石器時代から続く食肉の文化を今更全て否定するのもいかがなものかと思う。
その一方で・・・。
「食肉文化を改めたい。」という文化も新たな多様性として理解してほしいと思うのもまた正直な意見である。
食事に関して考えた結果、固有の意見を持ち、それを大事に生きたいと思う人間を否定できる理由なんてどこにも無い。日本人が犬を食べる文化圏の人間を否定しているのも、その文化圏の人からすれば固有の文化による食肉文化の否定な訳だ。正式な方法に則って食肉加工された牛肉や鶏肉であれば食べても良いとされているハラルフードの文化などには我々日本人は馴染みが無く、どうせ食べるなら加工過程なんて・・・。と思う人が多い事であろうが、現在世界中のムスリムの数は約20億人。2050年迄には90億人に達し、世界人口の約4分の1がイスラム教徒となると言われている。(因みに仏教徒は5億人程度。全体の7%程)
イスラム教徒の人間以外に理解が得られない事象であったとしても、もはや市場として無視できない環境である。
話は戻る。
つまり突撃したヴィーガンさんは食肉文化という多様性を認める気がなかったのだ。
それはきっと、彼らも迫害されてきた歴史があるからなのではないかと思う。
肉を食べない。なんて話をすると
「えー。なんで?美味しいじゃん!」
とか言ってくる、中身がないどころか、もはやマイナスの吸引力にやられてしまっている奴らが世の中には腐る程いる。私もそういった人たちに苦しめられてきた。
食べられない。もしくは嫌いだと言っている人間に「美味しいじゃん」と言ってその会話は一体どこへ向かうのだろうか?「そうだね。美味しいね。」なんて結論にはまず成らないのに関わらず、責め立て迎合を促す典型的tyranny of the majority。
同じような立場の人間からするとそういったところに関しては共感できる部分があるが、ただ一点、私にはどうしてもこのヴィーガン団体の許せないところがあるのだ。
それは
屠さつ場で働いている人間に対するリスペクトがない
という点だ。
食肉文化に大して嫌悪感を感じているなら、尚の事世間で求められているその職を馬鹿にしてはならないと思う。そこで働いている人間が好きで行なっているとでも思っているのであろうか?ふざけるな。
人間が歴史の中で選択してきた文化に、求められて産まれた職業である。
その職業に誇りを持って働いている人間をバカにするなと私は言いたい。
むしろ肉を食べられない、屠さつという現状を受け入れ難い私たちだからこそ最も感謝すべき人たちなのではなかろうか?
かつて戦後間もない日本では、食べるものが何もなくて苦しんだ家族が、食肉用ではない家畜などを屠さつ場に持ち込んで食肉加工を依頼する事があったという。
当時の屠さつ場の職人達は、各動物が苦しまない方法を模索しなるべく楽に逝かせてあげようと勘案したが、方法がわからず、結果苦しめてしまったという後悔を口々に語ったという。
言葉にすれば許される訳でもない。感謝さえすれば行なって良いという訳でもない。
しかしながら我々は後世に命について伝える必要がある。
命をいただいて我々は生かされているのだと。