やめて良かった 日常編その2 ギャンブル
主にパチンコやスロットである。
負けた時は「もういくら使っても対して変わらない。」と散財し、勝った時は「勝った時くらい。」と散財する。
給料は全て突っ込んだ。街金や友人に金を借りた。
金を借りる為、または単純に約束を反故にする為沢山の嘘を吐いた。
全ての人間がそうであったわけではなかろうが、多くの人間がそうであった。
負ける度に「もうやめる」と引退宣言を繰り返す、【引退プロ】と呼ばれる人間もいたが、その殆どがすぐにパチンコ屋へカムバックしてきた。
どう考えても重篤な依存である。
戦後の最盛期には45,000店舗程の規模を誇る大型産業であった。
連発式という形式が禁止されたことにより、その店舗数は激減し、一時8,000店舗程まで数を減らすが、1995年頃より射幸性の高いスロットの登場等により店舗数は18,000近くまで増え、2001年には遊戯人口は2100万人程度まで上昇した。
5人に1人はギャンブルを嗜む国とはなんとも末恐ろしい事実である。(因みに韓国は2000年頃からパチンコ屋が登場するが、2006年には法律で禁止となっている。)
射幸性はますます激化し、2002年には社会問題となることを恐れた日本電動式遊技機工業協同組合は、今後作られる機械に関しては、大幅に性能を下げる決断をし、それ以前の機種は早期処分をするように働きかけるのだが、ミリオンゴッドという未だかつて類を見ない程の射幸性の高い機種が登場した事により、パチンコ・スロットによる自殺・借金の問題が大きく取り上げられるようになり、警察が動き出し大きく規制をかける事となった。(因みにこの頃は消費者金融からの借入もしやすく、金利も年間29.2%【現在は上限18.0%】と非常に高かった事も起因していると思われる)
こんな状態でも、日本でなくならない理由は既得権益によるものである。それにそもそも基本的に公営ギャンブル以外のギャンブルが禁じられている国(日本)で何故存続しているのか理由はあるのだが、それはまぁ今回一旦おいておこう。
2022年現在の市区町村数は1724。実に単純に割れば各市区町村にパチンコ屋は10店舗づつある計算になる。街を歩けばパチンコ屋はそこかしこに点在し、とにかく、ギャンブルに触れ合う機会があまりにも多すぎるのだ。
ギャンブルには手を出すべきではない。
何故ならあまりに失うものが多すぎて、大きすぎるからだ。
・お金
これは間違いない。
しかしながらこの真実から目を逸らす人間はあまりに多い。
「トータルでは勝ってる。」
というセリフはあまりに有名な慣用句である。
このセリフをいう人の9割9分は嘘を吐いている。
勝っているのであれば収支表を見せてもらうといい。ほとんどの人がつけていない。つけた事はあっても、継続してつけている人は殆ど出会った事がない。
そもそもギャンブルなんてものは、継続的に努力をするということが苦手な人間たちが、楽して稼ぎたい魂胆で始めるものである。
知識をつければ勝てるという人もいるが、情報が溢れている為他者と差別化を図れない現在においてはそれもかなり難しい話である。しかしながらある一定の与えられた知識を反芻することで自分は勝つための知識を有している勝ち組であると錯覚し、負け額に目を瞑り始める。
ただ与えられただけの知識を用いて金儲けができる訳がない。これを信じて知識があれば勝てると嘯いている人間は、ネットワークビジネス、現代ではMLMというのか知らんが、そう言った類のものに手を出す人間によく似ている。都合のいい情報だけを発信し、自己顕示欲を満たす事に必死。浪費を投資と言い換えるだけでビジネスの中心にいるような気持ちになっている典型的敗者である。
中には例外の人もいるがそれは後述する事とする。
・正常な金銭感覚
「パチンコで勝ったら寿司を食います。パチンコで負けても寿司を食います。」
これは岡野陽一さんというお笑い芸人がパチンコについて語った際の一節である。
一般の方には全く理解出来ない思考回路であろうが、これほど核心をついている一言はない
勝ったら寿司を食うとはよくわかるのだが、負けても寿司を食うとはこれいかに。
端的に言うと、大きく負けたら、食事で多少多めに金を使おうが痛みに差はあまり無いのだ。
5万負けた日に5千円の食事をした所で負け額が10%増えるだけなのだ。
10%ってそれなりだよねと思うであろうが、その考え方が出来ていれば(厳密には実行できていれば)そもそもギャンブルにハマらない。
例えばこの5万は家賃なり光熱費なり何かしらの必要経費だったとしよう。
そしたら、もはや5千円返ってきたところで何も変わらないのだ。事態は好転はしない。
仮にここで5千円誰かが渡してくれたとしたら、それもパチンコ・スロットに消えるだけだ。
だとしたら
今寿司を食べても対して変わらないのではないか?せめていい思いをして
これは5万5千円の寿司だ
と思う方が建設的ではないか?
と考え始める。この理屈で行くと、浪費に上限はなくなる。
これが、逆説的にギャンブルを行う前でも起こり始めたらもう最後だ。
使った分はギャンブルで取り返せばいい
となる。
そもそも持っていない金を計算に入れ始めたら金銭感覚の崩壊に歯止めは一切効かなくなる。
1,000円を3分そこらで無くす遊びを覚えた癖に時給2万稼げない人間の感覚がまともな訳がない。
・時間
こちらも言わずもがな。
ただ、そんな事言ってしまったら他の趣味も殆どが時間を失っている。
そう大差ないじゃないか?と考えた方もいる事だろう。
それはそうかもしれない。
私は長いこと音楽を趣味としてやってきた。バンドを組み結構楽しみながらやっていたが、結局はマウントの取り合いがバンド内で起こり始めしんどくなり自然と会わなくなっていった。
好きでやってたバンドの話も上記たった2行でおしまいだ。こんなに無駄なことはない。
しかも先述した・お金・正常な金銭感覚も含めて失っていく事が多い。そもそも趣味なんてものは時間と金を有し、他者から見れば正常でない事のオンパレードである。
それでもやはりギャンブルに使う時間はとてつもなく無駄だ。何故なら、例えばとても高額なカメラなり楽器なりを買いたいと思ったのであれば働かなくてはならない。ローンを組む等して買うかもしれない。いずれにせよ、趣味にかける為に、日々を逞しく生きる必要がある。
しかし、ギャンブルの行動意欲は頑張りたくないという活力である。
頑張りたくないから頑張るのである。
かつてスロプロの若者を追ったドキュメント番組で、毎日スロットを打って生活をしている事に関して
「毎日朝から晩まで椅子に座って集中して打たされて、、、殆ど拷問ですよ。」
と答えていた若者がいた。
じゃぁ働けばいいじゃないか。
働くことはそんなに思っている程辛くないぞ。(当時の価値観とは多少違うのかもしれないが)
しかし彼らは怖かったのであろう。社会という得体の知れない構造が怖かったから、とにかく目の前で済ませられる手続きで生活を担保しようと必死になったのである。
寧ろその思考回路は起業する人間に近いものがあるとさえ思う。
パチスロで生活をするなんて言う大冒険をして、しかもそれに毎日夥しい時間を費やし、それが仮に生活として成り立っていたとしても、殆どの場合長くは続かないし、何より得るものがない。
ちょっとした知見を得るだけでも良いもんだが、パチンコ・スロットで得られる知見を何かに活かせる人であればもっと楽に他の活路を見出すことが出来る。
ギャンブルで浪費する時間は、何かから逃れている時間であると自覚する事が出来ない限りは限りなく無駄な時間である。
・人間関係
これは結構人にもよるとは思う。
私が友人を失ったとは思わないのは、それはそもそも私に友人が少ないからであろうとは思う。
これは完全に持論なのだが、それを行なう為に嘘をつき始めたら重篤な依存症であると私は思う。
パチンコを打ちたいが為に、会社に嘘をついて休みをとったり、友人や恋人との約束を反故にしたりして環境を悪化させると言う極めて割の悪いことをし始めたらそれは依存だと思うのだが、こういった事をする人はパチンコ・パチスロ依存症の人間にはとても多い。
逆に、友人との関係を大切にする人であればこう言ったことも起きないのかとも思うのだがそこはどうだろう?
私にはそこに関して知見はないので誰かしら意見があれば反映させていただくと嬉しい。
この人以外にもいるにはいるのだが、私が好きであったと言うその一事だけでこの方を取り上げたいと思う。
ガリぞうさんである。
ガリぞうさんのみならず、パチスロライターや専業で稼いでいる方はいらっしゃるのだが、とりわけこの人の熱量は感服する。
スロットというのは設定というものがあり、その設定によってどれだけ勝てるのか、または負けるのかが決まる。その設定を何かしらの方法で看破し、打ち続ける事で収支を上げるのがスロットの正攻法なのだが、その何かしらの方法を知っているかどうかで勝率が大きく変わる。
多くの台は、台の挙動や店のクセなどで設定を看破するのだが、情報が溢れている昨今では誰もが情報を得る機会に恵まれているため差が付き辛い。そこでガリぞうさんは自ら設定看破用のアプリケーションを制作して他者と差をつけている。
そして、昨今では動画にも出演してるのだが、動画には出演しない方がパチスロでの収支は大きく、生活は安定するそうなのだが、多くの人に勝ってもらえるように立ち回りのコツを教えたいとの強い思いから動画出演をしている。
冒頭で触れたように、パチンコ・パチスロとはギャンブル性が強くなり、その結果社会問題になり規制がかかると言うループを繰り返している産業であり、このループは今までなくなることは無かった。
ギャンブル性の高い台が人気が高く、規制がかかっても何かしらの抜け道を見つけ出しギャンブル性の高い台を作りだし、再び社会問題となる。
先ほど紹介したガリぞうさんのように立ち回ればいいのでは?と考える方もいるだろうが、基本的にパチンコ屋が設けるように出来ている構造上、勝ち続けるのは至難の業である。
これはガリぞうさんを含むどのパチプロも言うことだが、基本的に生業にする事は薦めない。ただパチンコ・パチスロしか出来ないからプロになってしまっただけ。と言うことだ。
あくまで趣味で
と考える方もいると思うが、あくまで趣味で続けられるのであればそれはそれで良いとは思うのだが、何事も当事者は現実から目を逸らしがちである。何を失っているのか再確認した方が良い。
アルコール依存症は否認の病と呼ばれている。自身では問題がないと信じきってしまう節があるのだ。
私の実感としては、ギャンブル依存症もそれは変わらない。
趣味として認める前に一度真剣に向き合ってみてほしい。