ダイエットトレンド〜その2 なぜ流行は変化する?
そろそろ
必ず痩せる簡単なダイエット
なんてものが確立されてもいいんじゃないか?
と考えている人は数多くいるのではなかろうか?
結論から言えば
そんなものはない
厳密に言えば、誰にでも出来るものはない。
しかしながら、世の中には
「簡単に痩せる〇〇ダイエット!」
「ズボラな私にでも出来る〇〇運動ダイエット!」
「もう我慢しない!いつもの食事に〇〇するだけダイエット!」
等という何処かで聞いたことのありそうなワードが溢れかえっている。
前回の記事ではダイエットの語源から、過去流行したダイエットまで、ダイエットの大凡の歴史をご紹介した。バブル等の経済的背景、インターネットの普及等、様々な時代的背景を理由に「サプリメント」「ビリーズブートキャンプ」等多岐に渡り流行が変化していった事が見て取れたと思う。
流行が変遷する理由というのは、食べ物の場合は単純に飽きが来る、または流行を経て一般化する事でまた別の真新しいものを求めた人(またはそれをターゲットとした企業)により新たな流行が発掘される。ファッションの場合は多くの人に流通する事で希少性が削がれファッション感度が高い人から上手に離脱していく事で変容していく。
と言うように、変遷の理由を紐解いていくと実にそれらしい理由があるものである。
ではダイエットはなぜ?
ダイエットの流行の変遷理由は実に単純である。それは
効果が出なかった
からである。
「いやいや、効果は出てる人もいるよ。」
という人もいることであろう。
それはその通りである。なんせ私も、昨今では廃れつつある糖質制限で痩せた男であるが故に大いに同意する。
しかし、効果が出ていない人がいることは間違いのない事実。
この効果が出ていない人という人が、ダイエットトレンドを躍動させているのだ。
デブは端的に根性がなく、どんなダイエットであっても結果が出るまで頑張ることができない。
その為、今のダイエット方法が自分には向いていないと早いところ言い切りたいのだ。
そんな時に、他のダイエット方法を流行らせたい人間が現れ
従来のダイエットは間違っていたと言う金言を流布する
途端にデブは
「だから私は痩せなかったのかぁ!」
と、自分は悪くない。自分には現在のダイエット方は合っていなくて、時代に踊らされた被害者なのだ!と不遇をアピールする。
そして新たに提示されたダイエット方法に手を出す。
ここで新たなダイエット方法に手を出す事自体が少し違和感があるが、それは参考書を買っただけで賢くなった気がする理屈とほぼ同義であり、この手の失敗を繰り返す人間はいつまでも変わらない。
シンプルに【痩せる】と言う結果を求める事を諦め、より複雑に【痩せる気はある】と人にアピールする事と自分を納得させる事に意味を見出してしまう、思考にまで贅肉がついた脳筋ならぬ脳脂人間である為だ。
つまり
ダイエットA開始→挫折→ダイエットA批判→自己肯定→ダイエットB開始
というループが始まる。
これらを繰り返す人間が未来永劫デブであり続ける人間であり、彼ら彼女らがいる限り、ダイエット産業というものは衰退しない。
それらしい根拠による批判と、新しい提案をするだけでワラワラとデブは金を持って群がってくるのだから楽な稼業であろう。(私もそれに随分搾取されてきた)
思えば、ダイエットの歴史を振り返った際に「ツィギー」の来日により【痩身=美しい】という常識が築かれたと言う話と並行して、それまでは理想的体型とされていたのはのはマリリンモンローのようなメリハリのある体型であったとお伝えしたが、この流行の変遷自体が、上記のループの一部となっていることがよくわかる。
日本人は、欧米人のように、体躯が大きくなく、憧れるにしても同じようにはなれなかった。その為、より近しい体型を目指せる華奢なツィギーに乗り換えたのだ。(因みになのだがマリリンモンローとツィギーは168センチと身長は同じである事はどこか皮肉な気がする。)
多くの人が、憧れは口にしたいが、努力はしたくない。
その最たる人種がデブである。
痩せる気はある。それなりに努力はしている。しかし変わる事が出来ない。
そんな人間は沢山いる。日本人の成人男性に3人に1人・成人女性は4人に1人が肥満である。
そんな人たちの心の隙間をついて金儲けを企んでいる奴らが生み出したパワーワードが
楽して痩せる
等の冒頭で紹介したキャッチコピーなのである。
彼らからしてみれば、ものが売れればそれで良い。デブに本気で痩せられては困るのだ。活かさず殺さず。とにかく飼い慣らす。そんな鬼畜的所業を繰り返す。
だからこそ何も売るものを持っていない私は声を大にして言いたい。
痩せるということはとても辛いことなのだ。
理屈に先行して
気合いと根性が必要なのだ。
これだけはどれだけ流行が変遷しても変わらない、たった一つのダイエットの真理である。