お守り
2022年12月10日
私は御守りが嫌いだ。
有史、戦争の原因の多くは信仰によるものだ。
だからそんなものの象徴である御守りなんてものは大嫌いだ。
大体神様が私を救ってくれた事など一度もない。
私を救ってくれたのは、いつだって私自身か、もしくは私自身が築いてきた人間関係だ。
人に感謝こそしても神になど絶対に感謝しない。
神という存在そのものが人の弱さの象徴だ。
抽象的な存在にすがるのは思考放棄以外のなんでもない。
しかしながら
私はかつて御守りを貰った事があり、それが嬉しかった事をよく覚えている。
それは何故か。
他人に対して出来る事など限られている。
その限られた出来る事が早々に尽きた時、人に残された僅かな選択肢、それが祈りであり、その形が御守りだったのである。
登山グッズとして、靴につける御守りをもらったのだが、それの説明書きに書かれていた文句が考えさせられた。
「靴紐を結び直す時に、安全を再確認しましょう。」
つまり
「どこかにあなたを心配してる人がいます」
それを思い出させる一端なのである。
人の慈善を形に出来るものであるのならそれはそれで意義があるだろう。
信仰は理由にしてはいけない。
都合よく利用するものだ。