STAY GOLD[3]
STAY GOLD 【3】
鶴屋町での音楽活動時代に、「彼」に少し変化の兆候が見られたタイミングがあった。
夜中にバンドメンバー全員にメールを一括送信してきたのだ。内容は当時のドラマーに対する不満である。この内容は勿論ドラマー宛にも送られていたのだが、言葉を選ばず、むしろ強い言葉を選んで作られた文章は、相手を傷つける事を目的としていた。
当時のギタリストはそのやり取りの際にも、意見交換の良い場であると考えたのであろう、温和な対応をしつつ、集客意識に対する提言などを行うが、それに対しても「彼」は噛みつき終始不機嫌であった。
人の悪口を言わないというタイプではなかったが、ここまで露骨に攻撃的になることはこの頃までなかったので、私はとても狼狽した。
この頃から「彼」は事あるごとに嫌味を言う様になっていった。
バンド活動を[思い出作り]と称し、ライブは[お遊戯会]と呼んだ。私がヴォイストレーニングに通い、経験を積む意味合いでオーディションを受けた際にも「クラブ活動の発表会頑張ってね」ととびきりの嫌味をお見舞いしてきた。
しかし、そんな環境もギタリストが非常にロジカルかつ、ユーモラスに場を進行してくれたおかげで均衡は保たれていた。今でも『ウィットに富んだ』という表現の明確な意味は分からないままだが、きっとその言葉が当てはまるのはこのギタリストみたいな奴なのだろう。
因みにドラマーは前述したメールのやり取りの後に音信不通となった。
色々とあるものの、ギタリストの優れた人格のおかげもあってか、横浜鶴屋町でのバンド活動及び、横浜駅周辺での生活はとても楽しかった。
しかしながらギタリストは大学生であった為、卒業までの期限付きであった。
本気で取り組んでいるのであれば卒業後も一緒に音楽活動をしようという話にもなったであろうが、我々は本気ではなかった。
というよりも
「本気である」と口にできる覚悟など持ち合わせていなかった。
それに、ギタリストにははっきりとしたビジョンと豊富な知力があり、また何より夢に対する覚悟があった為、私も彼もギタリストの将来に干渉するようなことは言える筈もなかった。
横浜[24west] [B.B street] [F.A.D] [club lizard]藤沢[善行Z]等でライブを行ったが、何かしらの結果どころか、一度の黒字も残す事なく我々の横浜鶴屋町での音楽生活は幕を閉じ、ただ思い出だけが私の胸に残った。
あの頃「彼」が口にした
「思い出作り頑張ろうね。」
という嫌味がリフレインする。
[ギタリストはその後立派な社会人になり、世界を股にかけ奔走しながらも暖かい家庭を築いている。]
私は就職する事となった。
働いていた漫画喫茶が極めて景気が悪かった事でシフトが大幅に減り、流石に先行きが不安になったのだが、そんな折に「縁があった」のだ。
通常であればこう言う時
「良い縁があった。」と表現する事であろうが、そこは察してほしい。
今思えば、この「就職する。」と言う決断を「彼」になんの相談もなしにした事はとても良くなかった。
彼は他の人間とバンド活動を始めた。
「あったん(私)就職しちゃったから、俺他でバンドはじめたよ。」
とのことだ。
この一言は私に対する落胆や侮蔑など様々な感情が含まれてる嫌味だと思う。
きっと彼は私に裏切られたと感じたのであろう。
この頃から「彼」はバンドを組む相手に対して多くを望むようになった。
多くを望む様になったと言うよりは、望むものが変わったと言う方が的確かもしれない。
演奏技術のない人間と一緒にいる時間は無駄であると、はっきりと意思を示すようになっていた一方で、人間性などに関してはどうでもいいと言うスタンスになっていた。(因みにこの頃の「彼」は、プロでも一目置くほど技術的には成熟してきていた)
私はバンド活動が出来るような環境ではなくなったが、相変わらず「彼」と多くの時間を過ごした。新しいバンドのライブを観に行ったりもした。
「彼」といる理由はもはやあまりない気もするが、こんなに性格が歪んだ「彼」であれど私にとっては大切な友人であり続けた。
彼の良くない意味での変化について書き連ねているが、実は私といる「彼」は、かつての仲良くしていた時の「彼」と大きくは変わらなかったのだ。
気づいていないだけで、私の方が変わってしまっていたと言うことでさえありえる。
「これ歌ってるのどこの国の人か当ててみて。」
唐突に「彼」が、誰かしらのライブ音源を私の車で流し始めた。
聞き馴染みのない曲の導入部分、楽器のようにハミングするヴォーカリスト。
開始早々日本人にはない圧倒的グルーヴを感じた。まず間違いなく近年の日本人ではない。
多少とはいえ音楽に触れている為、耳には一定の自信がある。
様々な憶測を逡巡した結果
「とりあえず日本人ではないことは確かだよね。」
と私は言った。
「残念。先月出た玉置浩二のライブアルバムだよ。」
この時の私の慢心と偏見、彼の性格の悪さ。そして玉置浩二の比類なき歌唱力の衝撃を15年経った今でも忘れられない。